旅行記

【実体験】中国で実際に体験した「心温まる出来事」

旅の想い出私は中国が好きで、留学と旅行を合わせて合計600日くらい中国に滞在していた経験があります。

今回は、実際に体験した心が温まった出来事を4件紹介していきます。

 

龍井村の叔母さん

2010年、杭州を観光で訪れた際、龍井村の茶畑を見る為に、市内からバスに乗り、最寄のバス停で降りて向かった。

夏の杭州は雨が多く、その日も例のごとく雨で、傘をしながら茶畑と農家が点在する道を歩いていた。
当時の杭州は今ほどの観光地化が進んでおらず、龍井村は市内にありながら町中の雑踏とは無縁の静けさが広がっていた。

暫くすると、1軒の農家から傘をさした叔母さんが出てきた「お茶を飲んで行かないか」と声を掛けてきた。

当時の中国は今よりもボッタくりが多く、警戒していた私は一度は断ったが、再度招待されたのと、どこかで茶葉を買って帰りたかった想いもあり、家に入ることにした。

農家に入る地、開け放された広い玄関口に椅子と机が置いてあり、そこに座った。

家に入ると叔母さんは机の上に袋に入った数種類の茶葉を並べて、「匂いを嗅いでごらん。違いが分かるかな」と言いながら、コップにそれぞれ茶葉をお湯をそそいで何種類も並べてきた。

当時まだ学生だった私は急いで「沢山買うお金はないので、1種類しか買うことは出来ない」と断りを入れたが、「分かってる分かってる、気にしなくていいから、まぁ飲んでごらん。」と勧められ、お茶を飲みながら、旅行や留学の話をまだまだ拙い中国語で話した。

出来立ての茶葉というのは、素人が想像する以上に美味しいもので、何倍もお替りをしてしまい、お腹はもう本当にいっぱいになった。

お茶を飲み話している内に、この叔母さんは商売をしたいだけで私を招き入れたのではないのだと分かった。

何種類も飲み比べをしたが、結局1種類しか買わなかったが、帰国する迄飲まないことを伝えると湿気が入らないように丁寧に梱包してくれた。

外は相変わらず雨が降っていたが、叔母さんは外まで見送りに出てきてくれ、「このあぜ道を行くとバス停まで近道だから。」と傘をさして外まで見送りに出てきてくれた。

そして「この近くに○○という観光地があるけど、この雨だと増水していて危険だから行ってはいけないよ。」とまで教えてくれた。

去り際に「一緒の写真を撮ってもいいですか」と尋ねると、「こんな汚い服着ているのに、、、」と少し照れたようん素振りを見せながらも、笑顔で応じてくれた。

 

夜のパーキングエリアで出会ったウイグル族の青年

2011年、当時まだ学生で中国留学中だった頃、彼女と2人で夏に新疆を1月以上かけて周遊していた時のことである。

ブルチュンでの観光を終え、寝台バスでウルムチに戻る途中、日本で言うところのパーキングエリアに休憩として立ち寄った。

夕方早い時間に出発した為、夕食の時間も考慮して30分程停車することになった。
パーキンエリアといっても、何もない草原の真ん中に食堂とトイレがあるだけで、周りは漆黒の闇である。

乗客の殆どがバスから降りて、食堂で各々料理を注文していた。
注文といっても、メニューは拌面か炒面、それかゆで卵くらいしかなかった。

私達は特にお腹が空いている訳ではなかったので、私だけゆで卵を1つ買い、食堂の端の席に座って食べることにした。

「外は何もない漆黒の闇だが、薄暗い明りが灯るこの食堂の中では、立ち寄った乗客や運転手た達が、出来立てで熱々の拌面を食べている。不安な場所だが暖かい場所だ」と、物思いにふけっていた。

すると斜め向かいの席に座って他の乗客と同じように拌面を食べていたウイグル族の青年が、食べ終わりに食堂から出ていく際、少し微笑みながらこちらに向かってきて何も言わずに、私達の前に袋に入ったゆで卵を置いて行ったのである。

私は驚きで頭が回らず何も反応することが出来なかった。

少したった後に気が付いたが、もしかすると青年は私達が2人いるにも関わらず、ゆで卵を1つしか食べていない姿を見て、「お金が無くて1人しか食べられずに可哀そうだ。」と思ったのかもしれない。

 

ウルムチの夜市にて

2019年、新疆に旅行に行った際、最終日の前夜にウルムチのスーパーマーケットで自身へのお土産として、大量のナンや調味料、インスタントラーメン等を買いあさった。ホテルに戻って並べてみると、日本から持ってきた鞄にはとてもじゃないが入らない。

どこかで鞄を買わないといけないが、その時点で夜の9時を回っており、大型スーパーは既に閉店しており、ホテルの周りある商店を数軒回ったが売っている気配はない。

夕食を兼ねて夜市に行く予定だったので、再度の望みをかけて夜市へと向かった。

夜市には食べ物の屋台と、物品の販売の店の両方が出ており、急いで見て回る。

鞄を売っている店はあるが、精々ハンドバッグ程度のものしかなく、荷物が沢山入る類のものは売っていなかった。ダメもとで、各店の店主が持っている荷物入れの鞄(閉店後商品を詰める鞄)を売ってくれないか?と聞いて回るが、勿論誰も応じてくれない。

数軒目の時、店主が「どうしてこんなものが必要なんだ?」と聞いてきたので、「お土産が沢山あるが入れる鞄がない」と事情を説明すると、「よし!わかった俺が探してやる」と一緒に店をまわって交渉してくれた。しかし、結果は最初と同じで、「皆自分が荷物を持って帰れなくなるから無理だ」と誰も応じてくれなかった。

更に何兼か回ったころ、「売ってくれるという奴がいるが、料金が高いんだがいいか?」と申し訳なさそうに聞いてきたので、「いくらですか?」と尋ねると「30元らしい」とのこと。

見せられた鞄は、よく中国人が鉄道等で荷物をパンパンに入れて持っているナイロンの奴である。あの鞄に30元は普通であれば高すぎるが、その時の私にとっては良心的な値段だった。

無事に帰国用の鞄を手に入れ、その後夕食も済ませた私は、近くのスーパーで冷えてコーラと雪碧を買って、交渉してくれた店主のもとに向かい「私からのお礼の証だ、好きな方を貰ってくれ」と差し出した。

最初は恐縮して受け取ってくれなかったが、私がどれだけ感謝しているか説明すると、「ラッキーなのは君じゃない、私の方だよ」と笑顔で受け取ってくれた。

 

新疆の田舎町のホテルで

2011年、新疆のとある田舎町に立ち寄った時のこと。

当時は留学の休みを使った周遊旅行であったので、事前にホテルの予約等はしておらず、町に
着いて一番最初にするのは宿探しである。

バスターミナルの周遊で安そうなホテルを聞いて回るがどこも「外国人は宿泊出来ない」の回答ばかり。

当時その町は、まだまだ観光地としては有名ではなく、外国人の宿泊できるホテルは非常に少なかった。

時間は既に20時を回っており、夏の新疆とは言えそろそろ宿を決めたかった。
この際、少々高くても良いと思っていたが、そもそも高いそうなホテル自体がなかった。

最後のホテルで断られて、ホテルの前の道端で途方に暮れていると、店主が小走りで追いかけてきた。
「もう時間も遅い、本当は駄目だが特別に泊めるてあげる。

但し、「宿泊記録には載せられないから、領収証は切れない、それから廊下やロビーでは中国語以外は話さないでくれ。それでよかったら、泊まらないか?」と提案してくれた。

「最後に、私と君は北京で出会った友人で、無料で泊めている」と万が一の際の舞台設定まで用意してくれた。

ご存知の通り、中国では政府の許可を得たホテル以外は外国人を宿泊させることが出来ない。

勿論、ホテル側の利益にもなることだが、それ以上に好意から言ってくれていることが明らかだったので、その話を受けることにした。

 

まとめ

旅先や留学先では、怖い思いをすることもあれば、同じだけ心温まる出会いや出来事もあるものです。

無事に日本に帰って来た今ではどちらも良い思い出として心に残っています。

 

-旅行記

Copyright© 旅のプロの旅行情報サイト , 2024 All Rights Reserved Powered by AFFINGER5.